Burn out

小説ブログ

20181212

  12月も半ばに差し掛かり、日本で最も寒いであろう旭川あたりが雪で覆い尽くされる季節。世間では流行語がなんだとか、紅白歌合戦に誰が出場するだとか、そんな他愛もないクソどうでもいいことで大いに盛り上がっているようだった。人によっては命と等しいほどに重要な情報なのかもしれないが、少なくとも俺にとっては明日の朝どころか今日の夕飯の頃には頭から綺麗さっぱり吹っ飛んでいそうなほど瑣末な情報だった。
  近いうちに自分の住む地域にも雪という名の厄災が降りかかるはずだ。雪が降ってもいいことなんて一つもありはしない。寒いし、歩きにくくなるし、電車は止まるし。他にも色々あるだろが挙げればまるできりがない。どうせ降るならクリームパンとかにしてほしいもんだ。おいしいし、お腹も満たされるし。誰も困らないだろう。「明日の天気は曇りのちクリームパンでしょう。お出かけの際はクリームパン用バッグをお忘れなく」みたいな感じで。

  でもよく考えたら、上空何千メートルから落下してくるクリームパンってものすごい破壊力を帯びているのでは?なんか重力とか摩擦とか空気抵抗とかがどうのこうのして、とんでもない破壊力を帯びたクリームパンが降ってきてしまう。まるで魔人ブウ(悪)が放った人類滅亡ホーミング弾みたいな感じに。それじゃまるで人類滅亡クリームパンだ。なんてこった。えらいこっちゃ。
いや、待てよ。クリームパンは地上に被害をもたらす前に空中崩壊を起こしてしまうのでは?落下中に重力とかなんやかんやものすんごい力が掛かるわけで、それにあのただ丸くておいしいだけのクリームパンが耐えられるのか?否だ。無論耐え切れるはずがない。上空何千か何百メートルなのかは定かではないがクリームパンは空中崩壊し、人類の平和は無事に守られるというわけだ。めでたしめでたし。

   ……本当にそれでめでたしなんだろうか。上空何千メートルという蒼穹で生まれ、僅か数分あるいは数十秒で崩壊していくクリームパンの人生、ではなくパン生には何の意味があるのだろうか。ただ自らが空中で崩壊していく様を待つことしか出来ない。そんなのはあんまりじゃないか。それじゃあクリームパンたちはなんのために生まれてきたんだ。それをただの自然現象の一つと捉えるのはあまりにも忍びない。クリームパン一つ一つにも命があるのだ。上空から降り注ぐ那由他という数の命が散ってゆく凄惨な光景を人間は何も感じずにのうのうと眺めている。まるで全校集会でクッソどうでもいい校長の長話を聞かされている時の生徒一同ように。たぶん校長の中には好きで長話しているわけではない人もいると思うけど。きっと校長にも色々とあるのだ。でも校長って具体的に何の仕事しているのか今でも全然分からん。なんかよく校内うろついてるイメージしかない。あと教頭もあんまり何してるのか分からん。まぁ別段知りたいとも思わないが。

  そんなことよりクリームパンだ。遥か高みで生み出され、志半ばで飛散していくクリームパンたちはあまりのにも悲惨だ。飛散だけに。それに比べ、パン屋で生み出されるクリームパンたちはなんと幸運なことか。パン屋で生まれたクリームパンたちは皆、購入され人間の体内に嚥下してゆくのだ。廃棄処分とかは今はおいといて。パンなのだから誰かに食べられるというのは彼らにとって本望だろう。だが、空中で投げ出されたクリームパンたちにはそれが絶対に叶わない。
つまりクリームパンも人間と同じということだ。誰も好きで生まれてきたわけではない。望んで辛い人生を選んだわけでもない。皆、選べるなら裕福な家庭や優れた容姿を選んだはずだ。クリームパンだって皆、パン屋やコンビニで売られ、誰かに食べられるような幸福を望んだはずだ。だがそれは、己が意志で選択することはできず、ただの運によって一生を左右されるのだ。
  つまり、宇宙の心はクリームパンだったのだ。